トック氏が送る
ホラー映画レビュー
マウス・オブ・マッドネス
(In The Mouth of Madness 1995)
覗くな、狂うぞ。
ホラー映画レビュー、第5回はジョン・カーペンター監督の「マウス・オブ・マッドネス」
クトゥルー神話をモチーフに、現実と虚構の入り乱れる様を描いた不可思議ホラー。
ラブクラフト好きはとりあえずいっとけってな映画です。産んでくれてありがとう!なクリーチャーがナイス。
カーペンター監督の代表作は「遊星からの物体X」「ハロウイン」「ゼイリブ」「ザ・フォッグ」「パラダイム」「クリスティーン」など。
いわゆるホラー界の大御所。泥臭いコケティッシュさとぷんぷん漂うナマの匂い。
本筋は見失わず、たまに意外なところで遊び心加えちゃう、ホントに楽しんで撮ってんだろーなって目に浮かぶ監督です。
で「ハロウイン」「遊星からの物体X」はやっぱり愛シテルとして、俺的お気に入りは「クリスティーン」。
これ、ダメ男が心を持った車(♀)に恋しちゃうっていう如何にもダメ人間な映画なんだけど
アメ車カワイイんだ!クリスティーンかわいい!ちょっと抜けたツンツンお嬢系、みたいな感じで。
あーそんなことで嫉妬するなよ、という性格がカワイイ。ちょっとシツコ過ぎるのは正直ヤかなーって思うけど。
主人公がヘタレで気に食わないが(如何にもオタクだぜ、みたいな感じで)
俺だったら問答無用であんな鬱陶しい彼女ポイしてクリスティーンと車内恋愛します。
友人に止められたらハニーと轢き殺す覚悟で。
アタマダイジョーブデスカー?
イーーーエ。
で話を戻すと、「マウス・オブ・マッドネス」はそんな秀才と奇才の間を行ったり来たりするカーペンターが
久々ホラー魂を燃え上がらせて撮った作品。
どうでもいいけど洋題の「イン・ザ・マウス」をつなげて強引に読むと「インスマウス」になるんだよね。
インスマウスについてはラブクラフト全集の「インスマウスの影」を読んでください。なかなか面白いです。
カーペンター、たぶん狙ってやってんだろな。お茶目だね。そういう遊び心は好きかな。
で、本当に狂っちゃうの!?
と聞かれれば。
さあ、どうでしょう?
あらすじ
1人の狂人が精神病棟へ運ばれた。彼の名はトレント。
トレントのカルテに興味を示したウレン博士は彼にカウンセリングを試みる。
トレントの病室は異常を極めていた。
壁のいたるところに描かれた夥しき十字架。
部屋の隅にもたれ掛るトレントに向かって、ウレン博士は語りかける。
「君の力になりたいんだ」
薄笑いを浮かべ、トレントは語り始めた。
自分がかつて保健会社の調査員であったこと。
失踪した或ホラー小説家の所在を調べるよう依頼されたこと。
暗号を解き、編集者のリンダとホブの町を訪れたこと。
そして、真の恐怖はこれからやってくることを。
ギミック of ギミック of ギミック・・・・・・
マウス・オブ・マッドネスは何処からが現実で何処からが虚構の話なのか分かりづらい。
本筋(というよりトレントが語る内容)としては現実と虚構(小説)がリンクして、
虚構が現実を支配するという話なのだが、その間に厳密な線を引き難いのだ。
観ていてこれは現実なの?それともニセモノなの?なんて混乱してしまうことも少なくない。
とは言えそこはカーペンター。ただ混乱させるだけでなく、いかにもホラー小説風というナイスな「ホブの町」を舞台に、
グログロ物体Xなクリーチャーがこれでもかと場を盛り上げ、こちらのテンションを保ってくれるのである。
こういう部分がしっかりしてないと、観ているだけで「あーつまんねー」ってなってしまうんです。少なくとも俺は。
また登場人物からカーペンター臭というべき一種の生臭さがじわじわ伝わってくる部分も好きだ。
そうやってふだらふだら観ている内に俺達はマウス・オブ・マッドネスによってスポイルされてしまうのである(うそ)。
ところでマウス・オブ・マッドネスはどの時点でトレントに影響を与え始めたのだろう?なんて考え出すとそれこそドツボにはまりやすい。
イマイチよく分からない、俺も初め観た時はそう思ったので、作中のマウス・オブ・マッドネスの位置付けについて考察してみた。
注 こっから下ネタバレ!!! まっさらな気持ちで楽しみたい方は覗くな、狂うぞ。
A 脳味噌インスマウス
夜中アルコール入れてすね毛いじくりながら何も考えずに観た場合(俺が始めて観た時のことです)。
マウス・オブ・マッドネスのシナリオ通りに現実が侵食されて、おしまい。つーオチなのかな、と。
ケーンがタイプライターを打ち終えた時点で物語は完成し、トレントはその流れに逆らうことはできなかった。
あとは人類の終末を見守るだけ。リンダが言うように「多数の狂気=正気」の前に屈服し、残った一人になっちゃったと。
B 全部妄想なのれす
ようするにトレントがウレンに語っている内容は妄想である、というオチ。
ただ現実も混ざっている。キーは依頼人が「2ヶ月前に君から原稿を貰った」と述べたこと。
これを事実と仮定した場合(現に本は出版されているので事実であろう)、
サテンで依頼についてくっちゃべってた頃より後の映像は、細部の真偽はどうであれトレントの妄想が確定する。
トレントがホブの町から帰還した時から、もっと言えばその前から調査期間の時間軸が合わないのだ。そのことにトレント自身驚いている。
ただ、「二ヶ月前に原稿を渡した」のと同じく、トレントが区役所でホブの町の所在を聞いたことや、トチ狂って人を殺したのは事実であろう。
そうでないと精神病院にいること自体が妄想か、マウス・オブ・マッドネスの世界の中だという結論に達してしまう。
話の顛末はこうだ。
トレントはケーンの居場所をかなり早い段階で突き止めており、マウス・オブ・マッドネスを貰いうけ、それを引き渡す前に読んでしまった。
マウス・オブ・マッドネスはトレントの精神とリンクして蝕むほど複雑怪奇で恐ろしいホラー小説であり、
結果、トレントは自らが作り上げた第二のマウス・オブ・マッドネス、いわば妄想の世界に逃げ込んでしまった。
マウス・オブ・マッドネス自体が存在しないのでは?という可能性は、上に書いた依頼人の発言から消去される。
またケーンの読者が次々に暴力的な事件を起こしているのは事実であるから(ウレンが『似た症例』と述べ、外は大変だというやり取りがある)
マウス・オブ・マッドネスが存在するのは確かなのだ。勝手に脳内で登場させられ、読者が人殺しおっぱじめるなんてケーンもいい迷惑である。
(というよりケーンも書いていて頭がおかしくなって引き篭もっちゃったし、書いた後に拳銃自殺なり何なりで死んだんだろーね。
トレントが読者ブッ殺すシーンでさり気にそう言われてる。『マウス・オブ・マッドネスはケーンの遺作』なんてリッスントゥーレディオ)
こう考えると話の途中から(ホブの町で逃げようとして車で突っ込んだ辺りから)数々の演出が怪しく匂ってくる。
懺悔室に閉じ込められた、書斎にワープした、ケーンがテレポートして現れた、景色が突然青一色になった、映画館で目を覚ました、など。
時間軸や空間概念がかなり曖昧になっている。極めつけ、本を買った若者から血の涙が垂れているなんてのはまさに精神病者の幻視。
だんだんと話が突拍子のないものになって、現実感がなくなって行く点が、妄想のイメージにぴったり来てしまう。
そうなると当然、トレントがポップコーンほうばりながら映画を観てるラストシーンも全て彼の妄想である。
というよりアレだけ世界が混沌としていて、映画館が正常に機能しており、またポップコーンなんかのん気に売っているところが妄想くさい。
だいたい客からして誰もいない。(これは世紀末だからで済むかもしれないが、このトレント一人という状況が如何にもクサイ)
ポップコーンから感じるコミカルなキチ●イくささ、ガラガラの映画館、これらはカーペンター監督の凝った演出と見るべきだろう。
映画に描かれた自分を観て、自虐的に笑い泣き叫んでいるトレントの姿はまさしく現実のものであるが、
肝心の映画は彼が創造し、彼の脳内で流れているのだ。最後の最後は背景真っ暗、トレントの表情しか映していないので、余計にそう思える。
『マウス・オブ・マッドネスの登場人物は自分なんだ』と信じてしまった男の哀れな末路である。
だいたい考えて見て欲しい。演出の細かいところをつつくようでカッコワリーかもしれないが、トレントが語っている内容なのに、
その話の中でトレントが寝ている時の出来事が語られていたり、リンダだけで行動しているシーンが出てくるのがまずおかしい。
これも全て彼の妄想と見るべきだろう。聞いてくれよウレン、たぶん彼女はケーンに何かされたんだよ、うえへへへへ、つーわけだ。
マウス・オブ・マッドネスを読んだから分かるんじゃないの?そうかもしれない。
ただし彼がマウス・オブ・マッドネスを自ら全部読みましたというシーンは何処にもない。
部分的に読んだものはある。しかしそれなら、ケーンの書斎に行った時に(顔を押し付けられた時に)、
リンダが化け物になった理由も分かっているはずなのに、しぐさからはそう見えない。帰る時リンダに「君は?」なんて言ってるし。
そして何よりトレント自身がマウス・オブ・マッドネスに犯されたサインである『血の涙』を流していない。
そういうわけで、最初に斧振りかぶって射殺された編集者は原稿チェックしてる内におかしくなっちゃったんだろうね。
自分が物語の主人公、みたいな。もちろん偶然ではなくて、依頼人の方に面識があったか、
彼らがケーンの話をしているのを聞いてかぎつけて来たのでしょう。
(切りつける時もケーンがどうとしか言っておらず、トレントには触れていない)結局はトレントと同じ症状に陥ったというわけだ。
つーか、トレントが襲われたことに編集者のリンダしか触れていないし、ガラス張りで話が聞こえないと考えれば、
あのシーンも妄想だったんだろうか。そーだ!妄想なんだ!と、ここら辺で危なくなってきたんでやめ。
ようするに、こういう巧みな妄想話と考えると、ちょっと怖いです。
C 編集者のお姉さん(リンダ)がキモ色っぽくて好きだ。
たまにカーペンター映画に出てくる微妙にキモ色っぽいお姉さん。今回も出てきた。
・寝起きが悪い。(トレントが遊び心で小道具鳴らして起こしただけなのに、静かに起こせやボケ!とマジギレ)
・なりふりかまわず下手糞なキス。ムードもクソもない。
・でもケーンとの絡みのシーンは(脱がないけど)色っぽい。
・鍵を飲み込むシーンが問答無用でビッチ。
・急に首が曲がって四足歩行になる。
・タイタニックスタイルで自転車二人乗り。
途中からこのお姉さん、くるくるぱーのクリーチャーになってしまうんだけど、
クリーチャーでもそんな変わんねえじゃんよ、むしろキモ色っぽさ倍増!という後ろ向きな魅力が結構好きだったりする。
それだけ。
D うひひひひひひひ!うひひひひひひひひひひ!
うへ、うへうへうへうへ、まうすおぶまどねすってね、かあぺんたあなの。うえへへへ。まうすおぶまどねすをつくってるのはかあぺんたあだから、けえんはかあぺんたあにつくられてとれんとは、けえんにつくられて、でもとれんとはえいがをみてるからかあぺんたあがつくってるしけえんをつくってるの。えいがのだいめいがまうすおぶまどねすだから、うえ、うえへへへへ、まうすおぶまどねすのなかにまうすおぶまどねすができてて、そのなかにまうすおぶまどねすがーがー、がぁああああああああああうあうあうへうへうへへうへうへうへへへへへへへ、うへへへへひひひひひひひひひひひひひひ。
たんけんホブのまち
オーケー。「また一発ネタですか?」なんて突っ込みはナシだ。
とりあえずホブの町の名所・有名人を紹介しておこう。
ホテル
煉瓦造りで、昔ながらのいい雰囲気。部屋は少し狭いが、眺めがよく、主人が化け物であることを除けば快適だ。
西の窓からは草原に囲まれた納屋が見え、東の窓からはピザンチン教会が見える。
ロビーには一枚の絵画が掛けられている。見る度に中の景色や人物が変わって見えるらしい。
ホテルの老婦人
一見優しいちょっとボケ気味のお婆ちゃんなのだが、正体は触手ウジャウジャ。
夜な夜な斧で夫を虐殺する危ないお婆さんだったのだ。
ホテルの老主人
素っ裸のまま鉄球付きの鎖を足に巻かれた元主人。両手は手錠で封じられ老婦人の足につながれてる。
ちょっとでも物音を立てると老婦人が「静かにせえや!」と切れるのでじっと耐えている。
ピザンチン教会
尖塔を頂にする小説家ケーンの家。ケーンはホブの子供を浚って中で監禁しているらしい。
怒りに燃えた住民が「子供返せや!」と迫ると、何処からともなく5匹くらいドーベルマンがやってくる。何故だろう。
ところで、ケーンの書斎からしか外界には帰れない。ホブの町から出たければケーンに会いに行こう。
ただ帰る時は多数のバケモノに追いかけられることになる。
ケーン
マウス・オブ・マッドネスを初めとする数々のホラーを世に送り出した小説家。
しかしその容貌は小説家というより、売れないマジシャンである。
彼の小説を読んだ者は精神に異常をきたし、暴徒と化してしまう。
風車が見える道路
ホブの町と外界をつなぐ地点。ホブの町にも現実にも存在する。ホブの町から抜け出た時は現実のこの地点に帰れる。
つまりケーンの書斎の通路からホブの町を抜け出すと、現実の風車が見える道路に出てくるというわけだ。
そのまま普通に車で突っ切ろうとしても、ホブの町のここはワープゾーンになっているので、また町に戻されてしまう。
電話ボックス
風車の見える道路のすぐ側にある電話ボックス。電話が何処に通じているのかは謎である。
トランプチャリンコ
後輪に何故かトランプが挟まっている。こぐ度にぺらぺらぺら、とウルサイ。
町の外れの青年
トランプチャリンコに乗って現れる。車の横を通り過ぎたかと思うと、いきなり真正面から出てきて轢かれる。
しかし轢かれてもムクッと起き上がりまたトラチャリに乗って走り出す。
横切った時は青年だが、次現れた時はしわくちゃの老人だったりする。何がしたいのかわからない。
住民達
ケーンの小説「ホブの町の悪夢」の魔力によって、夜は顔の崩れたバケモノに。
道路にうじゃうじゃと現れ、斧や鋤を握りとおせんぼする。
えー、次回のホラー映画レビューはッッ!!
血しぶきブッシャー!五体バラバラ、首が飛ぶッッ!
内臓グログロ、観ていてゲロゲロ。
そんなスプラッター映画を紹介しよう。それでは、また。
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