考察 なぜ当たったブーメランが戻って来るのか?



投げたブーメランが手元へ戻って来る。
それは、当たり前のようでいてしかし、我々に確たる違和感を投げ掛けて来る。
そう、ただブーメランを投げただけならばともかく、通常の運動エネルギーを考慮した場合、
相手に当たったブーメランまでが戻って来るはずはないのだ。
木製のブーメランを投げ当てたのなら、周辺へ跳ね落ちるはずである。
しかし、風雲拳のそれは迷うことなく使い手の腕の中へと戻って来る。それはなぜか?

まず、念動力である、という説を唱えることができるだろう。
念動飛棍という風雲拳の奥義の存在を鑑みれば、
風雲拳の使い手は同時に念動力の使い手でもある、と解釈することができる。



この緑色の部分が念動の部分であると考えられている。
それはある意味で正しいだろう。
風雲拳の使い手は念動力を用いてブーメランを操るケースもある。

しかし、通常のブーメラン投げ、飛棍投術の場合はどうだろうか?
その際、風雲拳士は緑色に発光していない。念動力を用いていないはずなのだ。
にも関わらず、相手に当たったブーメランは手元へと返って来る。
どうしてだろうか?

風雲拳のみに焦点を当てていても答えを導くのは困難と判断した私は、
他のブーメランの使い手のケースも合わせて調べてみることにした。
風雲拳以外でのブーメランの達人と言えば西城秀樹かブロン様だろう。


北斗の拳 (C)武論尊/原哲夫

今回はブロン様へと当たってみた。
彼もまた、目標に当たったブーメランを手元まで引き戻し、キャッチすることができる。
しかも念動力なしでだ。
ならば、氏の実演によるデモンストレーション映像が重要な資料となるはずだ。



お解り頂けるだろうか?
ブロン様の投げたブーメランは複数人のボロを貫通して戻って来たのである。
(しかも 「愚か者どもめが――っ!!」 とまで言っている)
そうなのだ、投げたブーメランの勢いが寸毫(すんごう)も衰えなかった場合、
ブーメランは例え命中していても手元へ戻るエネルギーが生きる
ケースがある。
私は風雲拳の秘密もここにあると見た。
つまり、風雲拳士(ハヤテ)の投げたブーメランも相手を貫通しているのである。

確かに、一見、風雲拳のブーメランを浴びた相手は、
打撃によるダメージしか負ってはいないように見える。
伝統風雲拳のブーメランは一見、木製であるし、
果たして人体を貫通するものか? という見方もあるだろう。

しかし、これはあくまで映像的なフィクションであり、
もしブーメランが当たる度に腕や首がもげていたらゲームとして発売できないのである。
モラリスト団体からの糾弾を避けるため、言わばモザイク加工的な規制として、
我々にはただブーメランが当たっただけに見えるが、
実際は腕に当たれば腕が取れ、首に当たれば首が取れているのである。

そもそも、プロレスラーが斧を振り回すような大会に
木で出来たブーメランで出場する無謀な男がいるだろうか?
実際にあのブーメランが見た目の通り木製なのか? と問われれば、それも怪しいものだ。

結論 相手を貫通(切断)しているから

人体を切断するほどのブーメランの回転運動を素手でキャッチできるのか?
という疑問も当然のことながら存在するだろう。
事実、ブロン様ほどの使い手だとてブーメランを投げる際には特製の手袋を用いる。
だが、風雲拳士の基本スタイルは素手である。危険を感じる人もいるだろう。

しかし実際、これは何も危険ではない。
風雲拳士は戻って来たブーメランを一度、胸の赤胴に当て、
勢いの弱まった跳ね返りを掴んでいるのである。
一瞬の出来事なので素人には見えない。
上手い具合に勢いを緩める角度を生む腰使いもまた、風雲拳の極意と考えて良いだろう。