1.奇傑の威光
刻まれる痛みに気付く間もなく、次の拳が打ち込まれる。
いや、拳なのかすらも解らない。感覚でも追えぬ連撃をどうして防ぐことが出来ようか。
その動きは流麗ではあったが、およそ人間のそれとは思えなかった。
一瞬、視力を完全に失う熱光を浴び、力を奪い尽くされ、崩れ落ちる。
やがて理解した。これが、デッドリーレイブ。
「フ…… 強いな……」
蹲って自嘲の笑みを浮かべる青年の前にはまだ熱が浮いていた。
その眼前で前屈みに腕を抑え、息を切らせるシルエットはしかし、弱々しさを感じさせない。
互いに目を伏せているにも関わらず、遥か頂上から睥睨されているような緊張感に、
青年は震えた。
顔を上げれば、そこには本当に今闘っていた若干17歳の少年がいるのだろうか?
これが、遺産の片割れ…… あるいは、中核か……
青年――カイン・R・ハインラインにとって、それは喜びでもあった。
動悸が収まって行く。逆に、込み上げる笑いを抑える理性が必要とされた。
「……さあ、答えろ! 何故、母さんをダシに俺を呼んだ?
貴様は本当に母さんの……?」
見上げた少年の瞳は血の浮いたような赤をしていた。
当然だ。彼の母の瞳もまた赤くあり、そしてカインの姉もまた同じ瞳の色をしていたのだから。
「全てはギースの遺産の為だ……」
“ギース”という名に、少年の瞳が毒々しく歪んだ。
「義兄の死後…… 彼の遺書が発見された……
だが、その内容は誰にも理解不能な代物だった……」
起き上がる力さえ今は回復してはいない。
胸倉を掴み上げられる感覚に気付くのが一瞬遅れる。
「で、俺なら解ると思ったか? 残念だったな!
俺はそんなもん聞いた事もないぜ! 悪いが他を当たってくれ」
だが、激昂はしていても少年、甥に過ぎない子供の剣幕に気圧されはしなかった。
捨て鉢に言う少年の気勢を飄然と受け流し、カインは確信を持って次の言葉を口にした。
「ほう…… 君の母上が生きている、としてもかね?」
セカンドサウスの南端、深い森の中に佇む浮いた風情の建物。
荘厳な、宮殿と言って差し支えのないその場所で靴音が響いていた。
その間隔は走るように短い。
「ロック!」
少年の名を呼ぶ声。
深く通るその声とは裏腹に、焦りは隠せない。
鏡のように磨かれた床の擦れる音が遠く反響し、不安を煽る。
もう耳では追えぬ響きは広い通路をさらに広大に感じさせた。
「ロック! 何処にいるんだ!」
足が浮く度、感覚を急かして行く不快な空間。
もう何度目かになるその名を口にした時、
この宮殿に似つかわしくない暗闇から青年の人影が現れた。
「ようこそ…… テリー・ボガード」
絹のような長髪を揺らし、貴公子然とした佇まいの青年は、
月光の化粧を浴び、一瞬、女と見紛うほど美しくあった。
だが、その慇懃無礼な態度がテリーの苛立ちを刺激する。
「貴様! ロックは何処だ!?」
見覚えがある。
この男がMaximum Mayhem KING OF FIGHTERSの主催者、カイン・R・ハインライン。
ロック・ハワードを呼んだ男だ。
「彼か…… 彼ならばここにいるが……」
そう、不自然なまでの無感動さで言ったカインの金色の髪の陰から、
見知った少年が現れる。
だが、安堵も一瞬。ロックは泣き出しそうなほど唇を噛み締めていた。
「彼はこれから私と行動を共にする。君はもう手を引きたまえ」
身を翻し、テリーにロックの姿を見せ付けるカインからは抑えていた感情が零れて見える。
言葉と共に、その表情は勝ち誇っていた。
すでにロック・ハワードはお前ではなく、私の所有物だと、現実を突き付けて来る。
闇の中の浮かび上がったカインの瞳は見慣れた赤色をしていた。
「どういう事だ? ロック……」
すでにロックに表情はない。
感情を押し殺した平坦な声で、彼にとっては息子に等しい少年は別れの言葉を告げた。
「……今は何も言わないでくれ。全てを精算したら必ず帰るよ……」
瞳を閉じる。テリーには、この日が来ることは解っていた。
この少年の業は、遠い場所に深くある。
例えの少年の背に翼があったとしても、空へ届く前に雷に断ぜられるだろう。
それを掌で包むことは出来ても、天の怒りを背で受けてやることは出来ない。
それだけ怒りは深く、それは少年の内にあったからだ。
宿命と、伝説の生き証人達は呼ぶだろう。
少年がその道と向き合うことを決めたのなら、テリーは憐憫の情を捨てるしかなかった。
「……俺はお前を信じてる。それだけだ」
テリーの薄い微笑みに表情が崩れる。
泣き落ちそうになる心を唇を噛んで耐えた。
「すまない…… テリー」
いつも支えてくれたあの人に、今はそれだけしか言えない。
唇から滲んだ血を飲み込んだ。
「さあ、行こうかロック君。全てはここから始まるのだ」
その声に隠された悦びが感傷に入り込む。
俯いたままあの人の顔を見ることが出来ない弱さが、ロックには憎かった。
いつかも同じようなことがあった気がする。
あのときと同じように涙を見せることは恩に背く行為だと感じた。
ロックはテリーの微笑みを最後に刻みながら踵を返す。
必ず戻る―― それは決して約束出来ることではないと、彼自身が誰よりも知っていた。
【2】
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