7.Sympathy For The Wolves

今でもまだ夢で見る。
俺の手を振り切って死を選んだアイツ。
アイツが何故、最期に笑顔を浮かべていたのか本当の意味は俺には解らない。
きっとそうだったのだろうなどと考えても、それで鎮まるわけでもないからだ。

結局、似た者同士だったのだろうとは思う。
なのに、近づけば近づくほど遠くへ霞んで行く。
その先で“理解”してしまうからだろう。“宿命”はもう終わったのだと。

見たこともないはずなのに、アイツの技を次々と身に付けて行く少年。
アイツの息子の成長は嬉しかった。
血の成せる業だとか、そんなロマンティックな奇跡じゃないことは俺にだって解る。
何かの力に、祝福されているのか、あるいは呪われているのか、そのどちらかでしかない。
それでも強くなるアイツの息子は俺には誇りに思えた。
いつ超えられても良い。ただ、その日が待ち遠しかった。



「これはまた随分と…… 我が弟子の成長には恐れ入るな」

「余裕じゃねぇかよ、テリー」

言うテリー・ボガードの軽く下げた視線の先には、
随所をギブスで支えられたビリー・カーンの姿があった。
病院の個室なのだが、バス、トイレ付きのちょっとしたホテルのような造りとなっている。
それが返って居心地が悪いこともあってか、煙草を咥えたビリーの返事は不機嫌だった。

「てっきりお前さんの差し金だと思ったんだがな」

テリーの手にはFatal Mayhem KING OF FIGHTERSの招待状が挟まれている。
差出人の名は、ロック・ハワード。

「年明け早々またKOFと来たもんだ。
 老体に鞭打つにしても、もう少しインターバルが欲しい所だな」

「チッ、ホントに余裕なんだな。俺には解らねぇよ」

不機嫌そうにアゴで煙草を立て舌打ちするビリーを受けて、
わざとらしく首を回していたテリーの手が止まった。

「あいつが自分で選んだことだろう。俺が心配することじゃないさ」

「――ハッ、なるほど。ボンクラは俺だけかと思ってたが、
 テメェはテメェでまたボンクラってわけか」

「ん?」

「アイツはテメェが思ってるよりまだまだガキだってこった」

「――甘やかしたつもりはないんだがな」

「どうだか。俺に言わせりゃテメェもガキだぜ。あの頃から何も変わっちゃいねぇと来てる」

「あの頃って……」

「解ってること聞くんじゃねぇよ。こっちゃ喋るのもキツイんだ」

ビリーは言いながら新しい煙草を手に取り、ギブスに支えられた腕で器用に火を点ける。
テリーはただ黙っていた。
白で包まれた病室からは無味乾燥な香りが漂っている。

「本来ならテメェがどこ向いてようが俺には関係ねぇ話だがよ、
 ロック様が絡むってんなら口出ししねぇわけにはいかねぇわな」

この空気を吸っている間は時間の感覚さえルーズに感じた。
それが、どことなく不快な焦りを煽る。

「テメェが負けちまうのが早過ぎたんだよ。
 アイツにはまだテメェが壁でなけりゃならなかったんだ。
 テメェは自分の存在のデカさを自覚しろ。何を一人で勝手に納得してやがる。
 勝てねぇ相手じゃねぇだろ、甘ちゃん一人。
 ……ま、今の俺が言うのも締まらねぇ話だがよ」

黙っているテリーから目線を離し、煙を吐き出してビリーが一息つく。
そして、煙を見上げたまま、また静かに言葉が流れた。

「俺はほとんど何も出来なかったがよ。
 コネクションの頭やってて学んだことだってそりゃあ幾つかはあるってもんだ。
 ――自分の影響力に自覚のねぇ王様ってのは最悪だぜ。
 お飾りの俺がそう思ったんだからよ、テメェはどうなんだろうな?」

「俺は――」

「――王様じゃねぇってか? それこそビンゴだよ」

煙草でテリーを指し、ビリーは続けた。

「納得出来ねぇまま目標が無くなっちまって、どこ向かって飛べば良いのか解らねぇでいる。
 その歯痒さはよ、テメェが一番解ってんじゃねぇのか?」

「…………」

「カインの野郎はクセ者だぜ? フラフラ飛んでる雛鳥を手懐けるくれぇお手の物だろうよ」

「――俺は、どうすれば良い?」

「俺に聞くな。俺はテメェよりずっとボンクラなんだよ」

「サンキュ。お大事にな」

その返事に薄く笑ったテリーにはしかし、いつもの陽気さはなかった。
テリーが背を向けると、ビリーは気の緩むままにゆっくりとベッドにもたれ掛かった。
容態は決して楽観視出来るものではない。
命があったのは彼の受けた拳に迷いがあったからだ。
それが解っても自分には何も出来ないことがビリーには歯痒い。

「――ギース様なら…… どうしただろうな」


そう一人ごちて、

「……俺も変わんねぇか」


深い眠りに落ちた。




サウスタウン病院の玄関口、自動ドアのガラス越しに体格の良い男が立っていた。
その見知った男の姿は、少なくとも病気ではこの場所への縁がないように見える。

「生きてたか?」

「元気に説教を頂いて来たよ」

テリーが言葉を返した相手はケビン・ライアンだった。

「アンタも会って行くか? なかなか良い部屋だったぜ」

「ああ、生憎と今日は手錠を持って来てねぇんだよな」

「忘れっぽい奴だ」

互いに笑う。だがその空気はこのまま冗談を言い合うようなものではない。
ケビンが軽く身を屈め、下から見上げるようにしてテリーへ真剣な視線を向けた。

「今、セカンドサウスに入れるのはKOFの招待状を送られた人間だけだ」

「ああ、らしいな。ここに来てるってことは、アンタにも来たんだろ? 招待状」

「来たよ。が、俺はあの街へは行けねぇ。
 今度無茶をやっちまったら間違いなくクビだ。俺だけならそれでも良いが……」

彼にはマーキーという家族がいる。

「ああ、解ってる。で、俺に何をご期待で?」

「上の判断で俺の招待状は国からエージェントに流されることになった。
 それがまぁどういうわけか俺の親戚なんだよ。
 女だてらにサンボの達人ってのは知ってんだが、何というか少々責任感じちまってな。
 もし会うことがあったら手ぇ貸してやってくれ。俺の名を出しゃあ怪しまれねぇと思う」

「サンボの女エージェントか……
 そいつにゃきっと俺の手助けなんて要らねぇと思うぜ」

「……何でだよ?」

年甲斐もなくきょとんとした表情を見せるケビンに、またテリーも屈託なく笑った。

「ま、何にせよギャラ次第ってとこかな」

「了解。ツケはチャラにしといてやるよ」



木の匂いのする道場で激しく打ち合う二人の男の姿があった。
一人は金の剛毛で、薄くヒゲを蓄えた日系人風の男。黒い道着を着ている。
もう一人はウェーブのかかった長髪を後ろで束ねたどこか気品のある顔立ちの男だ。
互いに50近いだろうに、その動きは素人では目で追うことさえ困難な切れがある。

近距離からでも頭へと正確に飛ぶ長髪の男の蹴りを紙一重でいなし、金髪の男が拳を返す。
道着の擦れる音が聞こえた瞬間にはもう次の動作。
続く胴突きが長髪の男のラフなシャツを打ち抜くべく伸びる。
寸前で身を引いてローキックが飛び、それをガードした男が再び拳を打つ。
やがて一進一退の攻防が終わり間合いが離れると、男は道着を直して口を開いた。

「まいったな、ロバート。まるでブランクを感じないよ」

「よう言うわ、手加減しよってからに」

リョウ・サカザキとロバート・ガルシア、かつて龍虎と並び称された二人は互いに礼をし、
ニヤリと口元を緩ませた。

「何言ってんだ、俺は本音だぜ?
 財団で忙しくてもトレーニングは欠かしてなかったんだな。たいしたもんだ」

「せやから手加減しくさってそのセリフは嫌味やっちゅーのに、解らんやっちゃな」

「いやいや、素直にお前の力が維持されてることが嬉しかったんだ。ただ……」

「何や?」

「俺が強くなった、なんてな」

大声で笑う二人には往年のライバル関係を思い出したかのような雰囲気があった。
いや、往年と呼ぶには二人の拳はあまりにも鋭い。
とりわけリョウ・サカザキが口にした言葉はあながち冗談とも言えないものがあった。
彼がすでに一線を退いていると聞いても誰も信じる者はいないだろう。
それだけ今のリョウには達人独特の風格があった。

「何や。あのうさん臭い大会、本気で出る気かいな」

「まぁな」

完全封鎖中のセカンドサウスで行われる、
Fatal Mayhem KING OF FIGHTERSにルールらしい記述は存在しなかった。
街道でファイターに出会ったら、ただ闘うのみ。
誰がファイターで誰が一般人なのか、その区切りさえ存在しない。
期間中に野外へ出た瞬間、その人間は例外なく強者の餌となるのである。
あるいは、我こそが強者として牙を剥くのか。

「ほとんど暴動やないかい。ブラックサバスを思い出してまうわ」

「公には身を退いた身だ。少々うさん臭いくらいが目立たなくて良いさ」

「えらい乗り気やな。こないだの道場破りでも見つけたんかいな?」

「ああ、牙刀か…… 見付かればそりゃ相手をしてやるつもりだが、
 看板も新しく作ったし、とりあえずそれはもう良いだろ。親父はカンカンだがな。
 マルコが捜しに行ったっきり戻って来ないのはさすがに気になるが……」

「まぁアイツなら大丈夫やろ」

「だな」

「で、何や? 他に何ぞ闘いたい相手でもおるんかいな?」

「そうだな…… ちょっとした後悔を思い出した」

「何やそら?」

「それと、ちょっとした興味を見つけた」

「ますます解らん」

リョウが笑って再び構えを取る。
リョウは元よりロバートもすでに呼吸が整っている。
あぐらを掻いていた膝を叩き、笑みを返してゆっくりと立ち上がった。

「だんだん実戦感覚が戻って来たところや。
 次、手加減しよったら大会前にスクラップやで?」

「みたいだな。全力で行こう!」

再び打ち合う道場の隅。そこに置かれた古めかしいビデオデッキには、
Maximum Mayhem KING OF FIGHTERS決勝と書かれたテープが入っていた。


そして、年が明ける――



【8】

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