14.Mark of the Wolves
「ロック! しっかりしろ、ロック!」
後頭部に大きな手の感触。
ついさっきまで包まれていたものと同じ、安心を与えてくれる手。
憧れを抱く手。
テリー・ボガードの声に反応し、ロックはうっすらと目を開いた。
「――あれ…… 負けたのかな、俺って……」
「ロック!」
意識を取り戻したロックへテリーの歓喜の声が届く。
自分でぶちのめした手前、かける言葉が思いつかないのか、
テリーは何か言おうとしては「大丈夫か?」と同じ言葉を繰り返した。
それを滑稽に思い、軽く身を震わせて笑う。
険の取れたその笑顔にテリーは顔を崩した。
「俺達は二人掛かりだったからな。普通の大会なら反則負けだろう」
呟きの答えは後方、腕を組むリョウ・サカザキからだった。
「どんなルールだったっけ……? この大会……」
「おいおい、お前が決めたんじゃないのか?」
ぼんやりと言うロックの言葉を、すっかり調子の戻ったテリーが茶化す。
「何か、色々あってさ…… 忘れちまった」
そう言って柔らかく微笑むロックに何があったのか、テリーには判らない。
だが、この子はもう手を握ってやる必要はないのだと、それだけは何となく解った。
「今度さ…… 決勝戦…… やり直そうぜ、テリー…… 俺が、勝つからさ……」
言いながら眠りに落ちて行くロックは満ち足りたように穏やかだった。
太い腕を枕に寄せたまま、ロックの髪に触れるテリーに浮かぶ表情は慈愛。
静かな寝息を聞きながらテリーはもう一度、血で張り付いたロックの髪へ手を差し入れた。
「冷たいな。その決勝戦に俺は無視か」
「まぁそう言うなって」
不貞腐れるリョウをなだめ、テリーが大声で笑う。
三者三様ボロボロでありながら、つられて笑うリョウもまた、表情は晴れやかだった。
程なくしてセカンドサウスの封鎖は解かれた。
それは住民達の最初の予想の通りで、街は相変わらず何の変化もない。
肥大化した平和は人を与えられるだけの自由に満足させ、惰性を生むのみである。
ある男にそんな理想を掲げられた場所とは思えぬほど、街は平和そのものだった。
しかし、ロックと墓地へ向かう道すがら、
いつものように子供達にバスケに誘われるテリーは、多分、それでも良いと思う。
確かに、惰性を貪る人間は、今は生きた目をしてはいないのかも知れない。
だが、そんな人間だとて、例えば家族であったり、宝物であったり、
形さえない、誓いであったり、それぞれ守るものはあるだろう。
誰かがそれを奪おうとすれば、彼らは自由を勝ち取る闘いに身を投じるはずだ。
それで良い。他人が信じるのはその可能性だけで良い。
少なくとも子供達は、まだ闘いは知らないかも知れないが、バスケットボールは知っている。
今ある自由を奪ってまで闘争を強制する必要はない。
それが偽りの自由だとしても、人はいつか、大なり小なり、形は違えど闘争を経験するのだ。
その先にある本当の自由を求める意思が消えることはない。
それは穏やかでも緩やかでも良い。
今ここで、自分を囲む子供達の笑顔が、テリーには何より正しいものに思えた。
かつて、この街を記憶のサウスタウンに繋げようとした男――
カイン・R・ハインラインの消息はようとして知れない。
ロックと捜したが彼の姿―― 遺体さえも、発見することは出来なかった。
ケビン・ライアンの話を聞くまでもなく、公権力を上げての捜索が行われる中、
やはりその姿を見た者は誰もいない。
ただ、開け放たれたままの彼の宮殿、美しい女性の絵画の足元には、
今は微笑みを浮かべ穏やかに眠るメアリーの遺体のみが、
古ぼけたスーツと共に、静かに安置されてあった。
この数ヶ月に渡る事件の真相は全て闇の中へ――
マリー・ライアンの回収した秘伝書はもう、何も語ることはない。
セカンドサウスの中心部から西、
日中は絶えず陽が射し込む美しい緑の公園墓地にメアリーは埋葬された。
以来、一週間と置かず、ロックは墓碑に真新しい花を飾っている。
一抹の寂しさは浮かべるが、語り掛ける姿は穏やかで、
テリーには今、彼が本当に目の前で母と会話しているかのように見えた。
今日もまた、ロックは散歩がてらにテリーを連れ、墓地へと足を向ける。
この街にいる間はこの習慣が続くのだろう。
ロックはあれから数時間後、意識を取り戻すと急いでビリー・カーンへ電話を取り、
また後日、謝罪と共に見舞いへ足を運んだのだが、
その後、ハワード・コネクションに居着くことはなかった。
なだめるテリーを余所にビリーはしつこく食い下がったが、
成人する頃には必ず戻るというロックの言葉に最終的には渋々納得し、
ロックの席はそのままに、また忙しい日々を過ごすことになった。
ロックとしてはまだもう少しだけテリーと世界を見て回りたいのだそうだ。
今ならまた少し違った風景を眺めることが出来そうな気がする。
そしてその先でテリーを超えたと胸を張って父に報告出来る日が来たなら、
同じ椅子に座ることにもう何の抵抗も持ってはいなかった。
「――ギースの遺産」
広い公園墓地の入り口へ足を踏み入れた辺りで、ロックがそんな言葉を漏らした。
「……ん?」
「俺にしか解らない親父の遺産があるって、カインが言ってたんだ」
足を止め、神妙にそう言った後、ややあってロックは微笑みを浮かべた。
そのままテリーを見上げ、首を傾げるテリーの腕を掴んで拳を自分の目線へと上げる。
そしてさらに深めた満面の笑みでロックは言った。
「このグローブ、最強の男が持つ由緒正しいアイテムなんだろ?」
「……何だ? 俺、お前にそんな話したか?」
「へへ、気にすんなって」
ロックは手を離し、勢い良くテリーの背を叩いて言う。
「俺が予約したからな、チャンピオン!」
笑いながら足早に進むロックを、テリーはやはり首を傾げながら歩いて追った。
突然言い出した意味は解らないが、つられて笑顔が浮かんでしまう。
とはいえもちろん、テリーもそうそう簡単に渡すつもりはない。
気合を入れ直し、すでに小さくなった背へ追いつくと、
母の墓の前、ロックは呆然と立ち尽くしていた。
「どうした?」
やや心配し、テリーが声を掛ける。
ロックは振り返らず、ポツリと一言言った。
「……絵」
背の上から墓碑を覗き込むとそこには見知らぬ絵が立て掛けてあった。
だが、その絵の風景は知っている。
緑に囲まれた美しい自然。そこに浮かぶ、満天の星空。
夜が描かれているにも関わらず、その暖かさは今浴びている春の陽射しと重なって見えた。
「母さんの描いた絵だ…… 俺は初めて見たけど……」
呆然とするロックへ、今度はテリーが勢い良く背を叩いた。
「今度は茶菓子でも持って遊びに行かねぇとな!」
咳き込むロックは何も言い返せず、滲んだ涙を隠して母の墓碑へ花を捧げる。
片膝を突いて目を瞑り、ロックが何事か交わす会話を、テリーは背に立って眺めた。
静かな時間を過ごし、やがて晴れやかな顔で立ち上がる。
陽の光を浴びて得た熱を冷ますかのように、羽毛のようなロックの髪がふわふわと揺れた。
「帰ろっか、テリー。腹減っちまった」
「よしっ! じゃあ俺のKOFチャンピオン奪還を祝って、パオパオでパーっとやるか!」
「残念ながら、今月はもうそんな予算はございません」
「なるほど、そこでお父様の遺産ですよ、ロック君。
――やっぱ100万$くらいあるのか?」
嫌らしく手の甲を口元に寄せ、小声で言うテリーに、ロックは最高の笑顔で答えた。
「――もっとさ。その程度じゃ全然足りねぇよ……!」
言いながら走り出すロックを追い、テリーもまた大地を蹴って駆け出した。
見渡せぬほどどこまでも澄み渡った青空は、遠く遠く、
もう決して曇ることのない彼らの未来を満足そうに眺めていた。
Fin
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