KING of FIGHTERS――

かつて、ギース・ハワードがシュトロハイム家と戦う為に
強い男を欲して開催された大会。
獰猛な男達が、血を好むこの街で、欲望のままに牙をぶつけ合う。
蠢くのは金と血肉。暴力に酔いしれる汚れたサバト。

この大会が表舞台へ解放されるにつれそのルールは緩和され、
生温いスポーツ大会へと進むのは自然な成り行きだった。
それは進化。身を守るために人が生み出した知恵。

だが、ギース・ハワードはそれを再び断絶する。
あの、初めてこの凄惨な大会が開かれた日のように、いやそれ以上に、
彼は原始的な暴力をこの街に示した。

それが生きる証であるという主張と共に、
凶暴なルールに退化したこの名の売れた大会は、
ひっそりと、闘士と、この街の人間以外の誰にも知られず開催された。

銃火器を使わない。それだけがルール。
後は最後の一人になるまでイーストアイランドで好きなだけ闘えば良い。

この大会は、闘いの人生を生きて来た一人の男の意地。
そして、最大の敬意。

この頂きまで駆け上がって来い。

ギース・ハワードは、狼を待っている。



「なんですって!?」

テリーがそんな驚愕の声を上げたのは、挨拶に訪れたタンの家で聞いた事件だった。
すでに数ヶ月前の出来事だと言う。
ここに預けられていたはずの、秦崇雷が姿を消した。

「一切の教育を引き受けていながら、申し訳ない……」

そして、その隣りで頭を下げるキム・カッファンの元へ居たはずの秦崇秀もまた、
同時期に消息が掴めなくなっているらしい。

「いや、全然顔も出さなかった俺も悪いんだ。
 俺が預けておいて、今頃知って驚いてるようじゃな……」

動揺は隠せない。

「今もチャイナタウンを上げて捜索しておるのじゃが……」

彼らが消えたということは、再び先祖の霊が現れたということだろう。
また、あの怪奇じみた災いが世に解き放たれている。

「また、秦一族の先祖が残したという秘伝書を狙っているのでしょうか?」

キムがテリーを見て言う。

「いや、秘伝書はもうない。狙うとしたら、ギースか……」

タンの視線が疑問を浮かべる。

「詳しいことは解りませんが、奴らにとってギースは特別だとか……」

「ではテリーさん、崇秀達はこの街に……?」

「――仮にそうだとしたら、奴らが仕掛けるのは今しかないな。
 この大会中に何か動きがあるはずだ」

それを聞き、気合の掛け声を入れるとキムが立ち上がった。

「最初の試合はテリーさんにお願いしたかったところですが、そうも言っていられませんね。
 必ず彼らを見つけ出し、正しい道へと向けましょう」

「あんたに言うのも野暮だとは思うが、あいつら半端じゃないぜ。充分、気をつけてくれ」

「いえ、テリーさんにそこまで言わせる彼らの実力、肝に命じておきます」

左の掌に拳を合わせ、キムが軽く頭を下げて踵を返した。
残されたテリーとタンが静かに向き合っている。

静寂。

互いに知っている。
ジェフ・ボガードが没した日より、いや、ギース・ハワードが彼の門下に現れた日より続く、
悲劇に彩られた八極聖拳の因果。
その呪われた闘いが、この舞台で終わる。

決着は、いずれかの死か。
凄惨な、命の奪い合いになる。

「――タン先生、八極聖拳継承者の称号、返上させて頂きたい」

テリーがタンの目を正面から見据えて言った。
タンは静かにそれを聞いている。
正座のまま、眠っているかのように動かない。

「この闘いは、八極聖拳の拳士として、必ず勝たねばならない闘い。それは解っています。
 ですが俺は――」

「言うな、テリー。お前達の間に八極聖拳の柵が枷だと言うのなら、
 継承者の座、暫しわしが預かろう。だが、預かるだけじゃ」

タンが立ち上がり、座するテリーを上から慈愛に満ちた目で見下ろす。
少年の日に受けた場所から、同じ暖かみが降り注いでいる。

「必ず生きて帰って来い」

暖かいが、強い言葉。
テリーにとって親と呼べる存在はジェフ・ボガードだけだ。
だが、この人の優しさもそれと何も変わりはしない。
タン・フー・ルーもまた、テリーにとっては肉親も同然だった。

ゆっくりと歩んだ門の前で振り返る。
タンは再び座ったまま、テリーをじっと見ていた。

「タン先生…… ありがとうございました!」

万感の想いを込めて、涙が滲む。
下げた頭を長くそのままに、テリーは強く瞳を閉じた。

必ず勝つ――

だがその想いは誰よりも、自分の中に――

子を捨て、親を捨て、自分自身の全てを賭けて宿敵に――



決着――大歓声が上がる。
KOFはすでに始まっている。
どこからが試合でどこからがただの喧嘩なのかすら判らない、拳のぶつかり合い。
ギース・ハワードが開戦の演説を行った瞬間から全ての闘争がKOFへと飲み込まれた。

この街全体が、KING of FIGHTERSという、血を好む猛獣の檻――

始まりが存在しなければそこには終わりも存在しない。
二人の男を制止する物など何もなく、
ただ闘争本能が枯れ果てるまで拳を握り続けるだけだ。
決着がついても、そこには勝者すら存在しなかった。

互いに枯れ果てた姿。
全身に血を滲ませながらもその満足そうな笑みが救いだろうか。
パオパオカフェ二号店では店長、ボブ・ウィルソンと、
現役復帰を目指すフランコ・バッシュとの壮絶な死闘が行われていた。

それを、テリー・ボガードが見ている。
だがすぐに背後の気配に気付く。
振り返るとそこには陽気な笑みを浮かべた懐かしい顔があった。

「ダック…… 随分見なかったが、久しぶりだな」

「随分見ねぇのはお互い様だろ」

互いに微笑む。だが親友との再会を楽しむ空気はここまでだった。

「てっきりダンスに打ち込んでるんだと思ってたが、違ったみてぇだな」

ダックの身体つきが違う。
それは以前よりもさらに鍛え上げられた格闘家の肉体だった。

「ダンスは大好きだぜ。でもよ、中途半端なんだよ…… 何をやってもな。
 やっぱりテメェを倒すまでヤメられねぇって、俺の血がギャーギャー騒ぎ立てやがるのよ!」

ダックが拳を突き出した。
それに拳を当てて応える。

「勝っても負けても、これで終わりにする。受けてくれよ、テリー」

その様子に気付いた観客達がさらに大きな歓声を上げた。
テリー・ボガードが居る。サウスタウンヒーローがKOFに現れ、闘いを行う。
それは熱狂と同時にこの街の希望だった。

ダックが地を駆ける。
飛び上がった中空で身を丸め、ヘッドスピンアタックの体勢に入った。
空中からの落下力も利用してのヘッドスピンアタック。
ダックの新技、フライングスピンアタックだった。

回転する肉弾凶器がテリーへと襲い掛かる。
テリーが天へ翳した腕にはすでに気が収束していた。
バーンナックル――

交差する。
互いに背を向け合った二人はそのまま動かず、呼吸を整えた。
ボブとフランコが目を見張る。
そしてそのまま、ダックが崩れ落ちた。
再び大歓声が上がる。

「悪いな、ダック。この街には、俺を待ってる野郎がまだ居るんだ」

帽子を目深に被り、テリーの表情は見えない。
だが、背への小さな視界の端で、ダックが倒れたまま拳を上げているのが見えた。
その拳以上に、突き上げられた親指が照明に照らされ光を放っている。

テリーの表情が緩んだ。

「サンキュ、ダック……」

テリーは走り出す。この街の頂きへと。
あのタワーの頂上で不遜に狼達を見下ろしている、あの男の元へと――


テリー…… テメェはやっぱ強ぇぜ……
いやただ強ぇだけじゃねぇ…… 誰にも負けねぇ、熱いハートを持ってやがる……

突っ走れよ、テリー……!
誰もテメェを、止められやしねぇさ……!




走る。当てもなく、この街に居るであろう最愛の人を求めて舞は走った。
どこに居るかなど見当も付かない。会って何をすれば良いのかも解らない。
今はただ息を切らせながらこの街を駆けることしか出来ない。

何もせずに泣くのはもうやめた。
だが何かをしていても、生まれるのは焦りばかりだった。
今、こうしている瞬間にもアンディは傷ついた身体で闘い、命を削っている。
その先に待っている最悪を振り払うために今出来ることが、ただ走ることしかない。
女の勘という物が本当にあるのならば、魔法のように彼に出会えるはずなのに――

その青い顔は極度の心身の疲労を物語っていた。

――アンディ……!

そんな舞を遮るように耳を突く音が近づいて来た。
そんな暇などないはずなのに、焦りは意識をそちらに引き寄せる。
彼女の前方に止まり足を停止させたのは、見たことのあるハーレーだった。

「ハーイ、舞さん。お久しぶりね」

「マリーさん……?」

そこには小柄な体躯とは対照的なハーレーを振動させながら、
サングラスを上げて微笑むブルー・マリーの姿があった。

「何、してるんですか? こんなところで……」

「あら、冷たいわね。貴方達にまた会いたくなった、なんて理由はどうかしら?」

意図しない停止に甘えるように息を切らせる舞を見て、
マリーはもう一度微笑み、ゆっくりとハーレーから降りた。

「舞さんこそどうしたのかしら? 随分と急いでいるようだけど」

悪戯っぽい笑みを崩さないマリーに舞は苛立ちを感じた。
立ち止まっている暇はない。
何か、彼に近づいているという確証を得るにはやはり走るしかないのだ。

「退いて下さい」

舞は苛立ちを悟られぬよう無意識に俯いてそう言うと、
マリーを押し退けて走り出そうとした。
だが、その腕を掴まれる。舞は瞳に怒りを宿して振り向いた。

「――アンディ君、ね」

マリーのその言葉を、怒りを隠さずに聞く。
舞は乱暴に腕を振り解こうとした。その瞬間に、身体が地面にある。
力を利用して投げられたことに気付いたのは呆然と淀んだ空が視界に映った後だった。

「そんな怖い顔で追い掛けられたら、彼ますます逃げてしまうわよ」

「マリーさん…… 貴女、KOFに参加しに来たんですか?」

露出した膝についた土を振り払い、舞がゆっくりと起き上がる。

「そうね、今この街に来ておいて、ただで帰るというのは勿体ないかも知れないわね」

マリーがジャケットをバイクに投げかけた。
そして何度か跳びはねてウォーミングアップを行う。
舞は今し方ジャケットを受け止めたバイクを見ていた。そしてマリーに向き直る。

「マリーさん、私が勝ったらそのバイク、貸して貰えないかしら?」

「うふふ…… 勝てたら、ね!」

跳ねる動作をフェイントに、飛び上がったマリーが空中から踵を落とした。
不意を突かれた舞はそれを両手で受け止める。だが重い。
グラつく舞にマリーはさらに踏み込んでのハイキックを放った。
充分に鋭いが、舞の反応も鮮やかだった。

舞はそれを片手で捌き、密着に近い間合いから顎を突き上げる変則の蹴りを打った。
マリーは円を描くようにスウェーで躱し、姿勢を低くして潜り込む。
だが、その頭上に折り畳まれた舞の踵が降って来た。
さらに飛び上がりながらの膝、そのまま空中で足を伸ばしての蹴りと二連撃が叩き込まれ、
衝撃と共に力に押されたマリーが地に手を突く。そこには確かなダメージがあった。

「不知火流忍術継承者をなめないことね!」

「――そうね、ちょっと甘く見てたかしら」

まだ余裕の笑みは消えない。
神速で踏み込んで来る舞の足下を狙い、マリーがスライディングを打ち込んだ。
だがそれを舞が飛び上がって躱す。
すれ違い、交差したはずの身体に電流が走ったのは舞だった。

「くぅ!」

思わず呻く。
振り返った舞の目にはスタンガンを持ったマリーの姿が映っていた。

「――貴女……!」

「銃火器以外は何でもありなんでしょ? 私は仕事ではこうやって闘ってるの。
 さぁ貴女も本気で来なさい。そんな軽業が忍術の全てというわけではないでしょう?」

「貴女、良い度胸してるわ……」

舞がゆっくりと胸元から鉄扇を抜いた。
これからが本気。彼女達の闘いに、睨み合う間はなかった。
一瞬で間合いを詰めた舞が鉄扇を振り下ろす。
マリーはそれを斜めに踏み込んで躱すと舞の腰にしがみ付いた。

暴れる間もなく、バックドロップで後方に投げ付けられる。
だがそのまま喰らう舞ではない。舞はマリーの力が緩む一瞬を見切って身を捩った。
華麗に着地する――その瞬間を狙ったようにマリーの肘が打ち込まれた。
その流れから連動し、首を取られる。フェイスロック。
ただでさえ切れていた息が余計に苦しくなる。

舞が鉄扇を打ちつけようとした瞬間、マリーは技を解いて下がっていた。

「ヘーイ、ベイビー」

一層、表情を張り詰めた舞が鉄扇を後方へ回す。

「花蝶扇!!」

投げ付けられた鉄扇は無数に増殖していた。幾重にも重なった扇がマリーを襲う。
――マジックショーかしらね……!
全ての扇子を手刀で弾いたマリーだったが、舞はすでに視界から消えていた。
完全に死角を取った。そう確信した舞の、鉄扇を口に咥えての空中突撃。
不知火流、ムササビの舞。

だがインパクトの瞬間、マリーの肉体は柳になったように感触がなく、
逆に腰に巻きつけられた腕から強い力が伝わって来た。
そのまま流れるように投げ付けられる。

「――クラッシュ!」

舞の抵抗を押し殺すように押し込まれたエルボーと同時に、スタンガンが光を放った。

「あぐ、う……!」

痙攣する舞の上に容赦なく飛び上がっての踵が打ち付けられる。
数歩下がったマリーに表情はなかった。

「少しは熱が冷めたかしら?」

ゆらりと、舞が動く。

「さすがね、今度のは電力を絞らなかったのに」

「――ぁああああああ!!」

絶叫。
走りながらの肘は次第にその足を宙に浮かせ、それを全体重をかけた一撃とした。
だがその下からマリーの蹴り上げが飛ぶ。
肩に軽く喰らったが、空中で交差したマリーの身体は隙だらけに見えた。
その刹那、後方から足で首を刈り取られる。驚愕。
そのまま地面に打ちつけられた舞のダメージは大きかった。

「悪いけど、私もSクラスのエージェントなのよね」

舞に今度は別の焦りが走った。

――この人、強い……!

あるいは電流以上の痺れが背中から響いて来る。
だが起き上がった舞の眼には、ハッキリとした決意が浮かび上がっていた。

――闘う。

祖父が好きだったから始めた忍術。
闘うのが好きかと聞かれれば返答に困る。
ただ祖父に褒めて貰いたくて、祖父のようになりたくて、
そして、やがてはアンディの側に居たいがために修行を重ねた。

それは決して楽な物ではない。自分が強いという自信はある。
だがそれ以上に強くなって行くアンディに置いていかれるのは恐怖だった。
彼について行きたい。彼の足手まといにはなりたくない。

ならば、闘うしかない。
闘って強くなるしかない。

舞は両の足でしっかりと大地を踏み締め、マリーを見据えた。

「ごめんなさい、マリーさん強いわ。でも、私も負けられないの……!」

――馬鹿ね……

駆け込む。再びマリーが足を狙ってスライディングを打ち込んだ。
明らかに踏み込むタイミングに合わせて来ている。
舞は今度は先程よりも軽く跳び、交差後のアドバンテージを取ろうとしたが、
その足を絡め取られた。回転して叩きつけられた衝撃と同時に股裂きを受ける。
そのまま足の関節を狙うマリーの肩を鉄扇で打ち、なんとか体勢を立て直した舞は、
気合の呼吸と共に水晶のくくりつけられた尾の帯を振り抜いた。導火線のように焔が走る。

「――龍炎舞!」

髪の焦げる臭いを上げながらマリーが大きく仰け反った。
だが怯まない。マリーは足のダメージで踏み込めない舞を狙い打ち、
飛び上がっての踵を打ち下ろした。

「タッチミー!!」

その瞬間、舞の身体が消える。いやブレている。
炎の中に浮かび上がった舞の姿は本物か幻覚か、
マリーの視界の中には全身に炎を帯びた三人の舞が居た。

咄嗟に技を防御に切り替えたが、炎の中に跳び込んだダメージは大きかった。
全ての火の粉を振り払ってもチリチリと肌が痛む。
顔を包んだ腕の感覚はすでにないに等しかった。

「本当にマジックショーね……」

「不知火流、陽炎の舞。ちゃんと名前があるのよ」

身を屈めて構える。これでトドメ。
舞が力強く大地を蹴ると、一度は巻き上がって消えた炎が再び全身を包み、
炎の弾丸となってマリーへ襲い掛かった。

「たああぁぁ!!」

炎の肘が打ち込まれた瞬間、この闘いが終わる。

その確信と共に繰り出した超必殺忍蜂が、
今度はマリーの身体がブレたことによって不発に終わった。

――えっ!?

刹那の見切りとも言うべき、寸前のスウェー。
そして脇から、まだ炎に包まれている舞の身体に、
彼女は何の躊躇いもなく両手で強く抱きついた。

「Shall we dance?」

炎に焦がされる身体をまるで庇わずに、舞の勢いを利用して後方に飛び上がる。
半端な高度ではない。足掻く舞だがマリーの腕は組み付いて離れなかった。
そしてそのまま地面へ――

首筋を強烈に打ち付けたと同時に浴びる電撃。
舞にもう立ち上がる力はなかった。


大きく息をつき、焦げ付いた髪を見てかき上げた後、
胸を包んでいるシャツがボロボロになっていることに気づいてジャケットを羽織る。
落ち着いた意識の端に舞のすすり泣く声が聞こえた。

「やれやれね。舞さん、貴女、アンディ君に会ってどうするつもりなのかしら?」

「ひっ…… うっく…… 一緒に……」

「一緒に、闘う? 一緒に闘って闘い抜いて、そして地獄で添い遂げるの?
 それで誰が幸せになれるのよ」

「あ、貴女に何が解るっていうのよ……!」

「――闘う男っていうのはね、舞さん。
 勝手にどこまでも突っ走って、勝手に死ぬのよ。まるで、それが美徳であるかのようにね。
 そんな男を相手に、女は何が出来るのかしら? 一緒に闘う?
 そんなのは男でも出来るわ。それじゃ誰も守れない」

「何よ…… それじゃどうしろって言うのよ……
 私はただ、アンディと一緒に居たいだけなのに……
 一緒に闘わないで…… どうして一緒に居られるって言うのよ!」

マリーはハーレーに腰掛け、微笑んで言った。

「貴女は鞘になりなさい」

舞の赤い視線が疑問を浮かべた。

「アンディ君、怪我、治ってないんでしょ? それでも闘ってる。
 何故かは私には解らないけど、彼にはきっと理由があるのよ。
 何を犠牲にしてでも果たさなければならない、何かが。
 今の彼は諸刃の刃のような物よ。誰にも触れられない」

「――だから、鞘に……?」

「そう、貴女は鞘になって、彼を包んであげなきゃいけないのよ。
 一緒に刃になったって死体が増えるだけ。
 一緒に死ねればまだ良いけれど、もし、どちらか残されたら…… それはきっと辛いわ」

バイクから降り背を向けるマリーを、舞はじっと見詰めた。
説かれた言葉を呆然と受け止めながら、それとは別の危うさに目を離せなかった。

「――私も一人知ってるのよね。勝手に死んだ、無責任な男」

「マリーさん……」

「バイク、使うんでしょ? 良いわ、貸してあげる。
 その代わり、貴方達はちゃんと幸せになるのよ?」

歩み寄って来たマリーが舞の涙を拭う。

「ほら、そんな顔しないの! 貴方達には笑顔が似合ってるもの。
 それが見たくてこの街に来たのに、そんな歓迎じゃ期待はずれだわ」

その微笑みを受けて舞が立ち上がった。
そして勢い良く頭を下げる。

「マリーさん、ありがとう……!」

頭を下げたまま、今度は別の涙が目から溢れた。

「――良いわよ。それより、急いでるんでしょ?」

上からの暖かい声を聴き、目一杯の笑顔で舞は頭を上げる。
そして急ぎマリーのハーレーに跨った。
微笑んで見送るマリーの目はまるで彼女の姉であるかのように優しい。
舞はバイクの上でもう一度マリーに頭を下げ、エンジンをかけ、アクセルを踏み抜いた。

その瞬間、マリーの笑顔は凍りついて消えた。

「きゃ――っ!!」

暴れ馬に乗ったが如く荒れ狂うハーレー。
それも一種の才能なのか、バイクの限界を超えた暴れぶりを見せたハーレーは
木に激突するかという寸前で横転し、騎乗者を振り落とした。

「あ、あ、ああああー!!」

慌てて駆け寄りハーレーを擦るマリー。その下から這い出て来る舞。
眉をひくつかせぷつぷつと血管を浮き上がらせるマリーを見て、
舞はオロオロした後、可愛く舌を出した。

「――舞さん…… 貴女、免許持ってないわね」



「まったく、ジョー・東はどこにおるとやろか?」

そんなことを愚痴ったのは、一年前、独断でサウスタウンに乗り込んだ挙句、
山崎を取り逃がし、香港警察から大目玉を食らった火の玉刑事、ホンフゥだった。

ジョー・東がKOFに出る。
そんな情報を得たのはやはりチン・シンザンを挟んだルートだった。
いつものように裏社会の情報を求めてチン邸を、
恋人のブレンダを連れてちょっとばかりデート気分で訪れた際、
何を血迷ったのかチンがホンフゥの敗北を口走ったことから今回の因縁は始まる。

当然、ブレンダには山崎の件も話していないし、
ましてやジョー・東なる恥ずかしい男に負けたなど口が裂けても言えようはずがない。
山崎に負わされた負傷はおとり捜査で受けた名誉の負傷ということになっているのだ。

「このスカポン頭がァ! 絶対許さんばい!」

怒りに震えるホンフゥを鎮めるべくチンが持ち出した情報、それがKOFだった。
そこに必ずジョー・東は現れる。
それを聞けばもうその場でジョー・東に復讐を誓うしかなかった。

今度はブレンダを連れてサウスタウンへ。
大目玉を食らった一年前もまだ記憶に生々しい今、
彼が持ち出した2週間の休暇という嘆願が通ったのは、
もはや別の意味があるのかも知れない――

「とにかく、東洋人を探さんことには話にならんばい」

自慢の発火ヌンチャクを肩に担ぎ、ホンフゥが闊歩する。
人が集まるウエスト・サブウェイの中を、ホンフゥは首を忙しく動かしながら歩いた。
みすぼらしくも見えるランニングシャツ一枚の彼の
田舎者とおぼしき挙動にクスクスと笑い声が漏れ聞こえる。

と、そこに黒髪が映る。ジョー・東も間違いなく黒髪だった。
黒髪だっただろうか?いや黒髪だったはずだ。
彼の少ない記憶回路の中にもその情報はまだ生きていたのだ。

「オイ、ちょっと! おんし、ジョー・ひが…… ギャ――ス!!」

「ん? ギャース?」

その水色がかった道着の背に輝くのは、韓国国旗のプリント。

「おお! ホンフゥじゃないか! 久しぶりですね!」

もはや見間違えるはずもない、テコンドー一筋の熱血漢、キム・カッファンその人だった。

「な、なんでキ、キム、おんしがこんなところに、サ、サブイボがッ!」

「本当に久しぶりだなぁ。連絡は何度か入れたんだが、なかなか時間が合わないようでね。
 君も警察の仕事に従事している身だ。忙しいのだろうと最近は電話を控えていたんだよ」

「そ、それは忙しいんやのぅてお前を避けとったんばい!」

「はははは、相変わらずジョークが冴えてるな。ブレンダさんも退屈しないだろう。
 どうだ? そろそろ君も身を固めてみては。心から祝福させて貰うよ」

「サ、サブイボがッ! サブイボがァ!」

地下鉄を電車が通る中、サワヤカな笑みを浮かべるキムと、
必死にサブイボを擦るホンフゥの姿がシルエットとなって走り抜けた。

「ところでホンフゥ、もしかして君もKOFに出るためにこの街へ……?」

「――もう、どうでもよか……」

「良かったら私が相手になりましょう。ホンフゥが相手なら、素晴らしいファイトが出来る」

「じょ、冗談じゃなか! オイラはもう帰るばい!」

ホンフゥは電車を超える速度で走り出した。逃げる。とにかく逃げなくてはならない。
これ以上、この男に関わるとサブイボの増殖で死んでしまうと彼の本能が告げていた。

「なんという軽功! また腕を上げたな、ホンフゥ!」

「ゲェー!!」

その隣りに、何故かキムが存在している。
その構えは鳳凰脚。地面を滑るように走り、
例え蛇行しようとも鋭角に妖怪は彼の隣りに現れた。

もう、闘うしかない。闘って倒すしかない。
殺らなければ殺られる。殺られないまでも、安眠の出来ない生活になる。
その苦しみを考えればホンフゥのヌンチャクが唸りを上げるのは自然の成り行きだった。

「ウザかぁー!」

「うむ、見事!」

それを両手で挟み込んで受け、キムが感嘆の声を発した。
だがそんなことに構ってはいられない。
一分一秒でも早く、この男の存在しない世界に帰りたい。
ホンフゥの魂の叫びは鋭い蹴りとなってキムの頬を擦った。
続けての蹴りがさらにキムのガードの上から叩き込まれる。

「むっ! 知り尽くした型でありながらも私が躱し切れない! さすがだ、ホンフゥ!」

だが、単調。
同門ゆえ、蹴りの入りをある程度見切れるキムにとっては、
ヌンチャクの動きに集中していれば反撃の機会を得るのは難しいことではなかった。

横突きのヌンチャクがキムの頭上を通過する。
そして、飛ぶ燕をも落とすと言われるキムの飛び上がりながらの蹴り、
飛燕斬がホンフゥの顎に叩き込まれた。
もんどりうって倒れるホンフゥ。
いつの間にか集まって来た観客達が口笛を鳴らして彼のダウンを演出した。

「ホンフゥ、何か心の乱れがあるな。悩みがあるなら相談に乗りますよ?」

その声を聞きながらホンフゥは、このまま死んだふりをしておこうと、強く強く思った。

「――そうやって私が近づいた隙を狙っている。侮れませんね、ホンフゥ」

キムは腕を組み、ホンフゥが起き上がるのを待っている。
観衆の盛り上がりがピークに達し、ホンフゥの復活を煽る。

だが、その時、歓声の向こうで横切った赤い影に、キムの顔色が変わった。

ソレは、視界を僅かに掠めただけにも関わらず、
異様な存在感を伴って世界に存在していた。
青い鳥肌が立つ。彼の知っている少年ではない。テリーの言葉が真実であるという証明。
嫌な汗がキムのこめかみを伝った。

「――残念ながら、この勝負はお預けのようですね……」


秦崇秀――やはり、この街に居た。



【35】

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