丘の上に立つ。何をするでもない、ただ、丘の上に立っている。
目の前に立つ父の墓碑も、今はただの石になってしまったかのようだった。
何も、答えてはくれない。微笑んでもくれない。

例えようも無い哀しみだけが漂っている。
あるいはそれが、この墓石の感情なのかも知れない。
同じ血と心を共有した二人が、同じ様に、嘆くように立ち竦んでいた。

「父さん…… あいつは笑ってたよ……
 あの時の父さんと同じように…… 最期に、笑ってた」

満足だったのかな?
クラウザーと同じように、もう、眠りたかったのか……?

父は何も答えてはくれない。
見つめた手には、まだ掴んだ腕の感触が残っている気がした。

「あんなに憎んだのにな…… 殺してやりたいと、ずっと思ってたのに……」

この涙は、誰が流しているのだろう……?

冷たいだけの風が吹き抜ける。
透明な雫をどこまでも飛ばし、運んで行く。
その先には誰もいない。
孤独な風に打たれ、まだあの場所で手を伸ばしているかのように、立ち竦んだ。

黙って、肩に手を置かれた感覚がした。
あの頃はあんなに上から感じた手が、今は隣にあった。

ハッとし、振り返る。
父の姿はない。ただ遠くで、少年の姿がある。知っている少年。

――ありがとう、父さん……

グローブで涙を拭い、わざとらしい伸びで彼を出迎えた。

「よぅ、ロック! 迎えに行こうと思ってたんだがな。俺のせいで旅烏になっちまったか?」

「終わったんだね…… テリー……」

「ああ、終わったよ」

「テリー……」

テリーは優しく微笑む。俯いていたロックが顔を上げた。
赤い瞳が煌々と輝いている。決意を込めた、哀しく、強い瞳。
次の言葉を、テリーは微笑んだまま受け入れた。

「オレと…… オレと闘ってくれ!」



ロックが思い切り拳を振り込んで来る。
血か、闘いをずっと見ていたからか、それには子供とは思えないキレがあった。

だが当然、テリーの前では所詮、子供のそれだ。
ロックは駆け込む度にテリーの拳に打たれた。

テリーが手加減をしているのか、ロックには解らなかった。
それだけ痛い。重い拳が圧し掛かって来る。
これが、ギース・ハワードを、父親を倒した拳。

ロックは吠えながら何度も拳を打ち付けた。
届かない。テリーの腕は怪物のように硬い。殴った拳の皮が剥け、血が滲んだ。
それでも殴りつける。恨みも、憎しみもない。
どうすれば良いのか解らない感情は拳にしか乗らなかった。

その拳を、テリーは受ける。あの時の自分と重なる。
幼い日、彼もまたジェフ・ボガードに勝てもしないケンカを仕掛けた。
彼の大きな腕に押し潰され、そして包まれた。
暖かい布団に安らぎを、優しい眼差しにぬくもりを与えられた。

この街に存在しないと思っていた、希望を与えられた。

父、ジェフ・ボガードがそうしたように、正面から受けて立つ。
ロックの拳は思いの他、鋭い。
何も教えていないのに、才能を感じざるを得ないものがあった。
ガードを突き抜け、胸に初めてロックの拳が到達した時、返すテリーの拳には力が乗った。

小さな身体が紙くずのように吹き飛ぶ。
驚愕の後、後悔。走ってロックを抱え起こそうとした。

だが、その瞬間、ロックの気が爆ぜた。
テリーの足が止まる。気功を使えるはずがない。
いや、それにこれは――

ロックの拳がさらに鋭さを増してテリーに突き刺さった。
蹴りも速く、そして重い。アッパーを顎に喰らったテリーは軽く揺らぎ、
今度は意図して力を乗せた拳でロックを昏倒させた。

流れ落ちる汗をそのままに息を荒げ、再び立ち竦む。


今のは――

「デッドリーレイブ……」


伸ばしたままの腕が、何かに届いた気がした。
ギース・ハワードは生きている。
この少年の中に、まだ気高き狼の牙を持って生きている。

「何てこった……」

テリーは呆れたように言う。
見上げた空はすでに夕暮れが近づいていた。

「まったく、本当にあんたは不死身だよ」

その腕でロックを抱き抱えるテリーの笑みには、また薄い涙が混ざっていた。

運んで行く風の先で、あの男もきっと笑っている――



呆っと、月を見上げている。

「大丈夫か? ロック」

動かない身体を横たえて月を見ていると、
隣で寝転ぶテリーから気の抜けた声を掛けられた。

「大丈夫なわけないだろ……
 ったく、手加減しろよな。大人のクセに」

「ハハハ、相変わらず生意気なんでな。ついついお仕置きに力が入っちまった」

テリーの言葉に脹れて顔を背け、軽く転がる。
片目に入った月は大きく、綺麗だった。

また空を見上げ、月を眺める。テリーの横でこうして月を見上げるのは好きだった。
今日の月は一段と雄大に、そして透き通って見えた。
冷たい風が髪を揺らす感覚が心地良い。

じっと月を見つめていると、見つめ返されているような気がした。
でも、嫌な感じはしない。暖かい眼差し。
それが何なのかは解らなかったが、ロックは自然と微笑んでいた。

心臓の音が聞こえる。
母が倒れてから、辛いことや悲しいことがたくさんあった。

でも、まだ生きている。

あの月から見ればまるでちっぽけな自分。
無力で、こうして横たわることしか出来ない自分。
なのに、生きている。不思議だ。

こんなにボロボロになるまで殴り合っても何も解らなかった。
でも、生きているということだけは解る。
生きていれば、この人と生きていればきっと、いつかきっと月の眼差しの意味の解る日が来る。

ロックが微笑みを横へやると、テリーも同じように自分を見ていた。


「ロック…… 墓、作るか……?」

「いらねぇよ。――この街が、親父の墓標だ。そんな気がする」

「そうか…… そうだな」


ロックにジャンバーを被せ見上げた月は、あの狼のように、不敵にこの街を見下ろしていた。

西暦1995年の、クリスマス前の夜だった。





今、愛に飢え、渇き、拳を牙に悲しみの街を生きた狼の伝説が終わった。
あるいは復讐に身を焦がし、あるいは野望に全てを捧げ、
己が牙を信じ、気高き信念のまま、決して退かず、天へ吠えて、闘いに赴いた。

正義など問題ではない。
ただ勝者が生き――敗者が散って行く。

今はもう、風化した伝説。誰も信じない、失われた伝説。

だが、確かにその男達は存在した。

それは間違いのない、何人にも覆せぬ事実である。



So long, Geese.


今は揺り籠の中で――



South town Story 餓狼伝説 完 


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