4.Sunset Sky Again

あんぐりと大きな口を開け、テリーがホットドッグをほうばる。
その隣では、また体格の良い男がビールを豪快に飲んでいた。
ゴトン、と音を立て、ジョッキが店のテーブルを打つ。
どうやらテリーはこの男の自棄酒に付き合わされているらしい。

「謹慎覚悟だったとはいえよ、三ヶ月は長ぇよな! おい、テリー」

苦笑いで応えるテリー。
この男、名をケビン・ライアンと言い、Maximum Mayhem KING OF FIGHTERSで
テリーと当たったファイターなのだが、列記とした警察官なのである。

親友の仇を追う形で参加したKOFだが、それは独断専行に他ならず、
目的も私刑とあっては処罰を受けるのも已む無しだった。
それで目的を果たせたならまだ良いが、結局、彼の追っていた殺人鬼、
フリーマンと呼ばれる男の捕獲は失敗。
後に本格的に動いた上の判断で射殺されたことになっている。

「俺が突き止めたんだぜ? 警官殺しの殺人鬼をよ。
 なのに謹慎三ヶ月だぁ? 勲章の一つもよこしやがれってんだ!」

こういった経緯の後、彼は真昼間から酒を浴びているというわけだ。

「クビにならなかっただけ良かったじゃねぇか」

テリーは苦笑いのままフォローを入れたが、それは今のケビンには不味い対応だった。

「何だと!? だいたいお前に捜査の邪魔をされなきゃ、俺がとっ捕まえてとっちめて、
 ギタギタにしてブタ箱放り込んで、めでたしめでたしだったんだよ!」

早速、噛み付かれるテリー。
彼の言う捜査の邪魔とは、試合中にテリーから浴びたKOパンチ、“バーンナックル”である。

「そもそも俺の奢りだからって、てめぇは食い過ぎなんだ!
 俺は食事も喉ぉ通らねぇってのに! っのやろ!」

「俺は初めから職なんかねぇから、食えるときには食っとかねぇとな」

言いながらパンケーキを追加注文するケビンに負けず、テリーもホットドッグを追加する。

「あ、でもでも、テリーが出てたあの映画、あれカッコ良かったわよ〜ん♪」

そこへ甲高い声で現れたのは両手にジョッキを持ち、
テリーの肩口から慣れ慣れしく顔を出して来る、
場末の酒場には似つかわしくない鮮やかさでナイスバディを着飾ったレディー……
と呼ぶには顔立ちと仕草にどこかまだ幼さを残す娘。

「うわっ!」

と、テリーが反応したこの女の子もまた前回のKOFで知り合ったスリル好きのお嬢様、
B.ジェニーことジェニー・バーンだった。

「――お前、また俺をつけてたのか……?」

「あらやだぁん♪ 偶然よ、ぐ〜ぜん!」

の割にはオシャレにやたらと気合が入っている。

「あ、もしかしたら運命かもね〜ん♪」

そして目は泳ぎ、額には冷や汗までかいていた。
どうにも調子の崩れるこの娘、何やら初恋の人がグラビアで見たテリーだったらしく、
実際に知り合ってからこっち、初めこそ(今からして思えば妙に)しおらしかったものの、
最近は実に遠慮なく、テリーは割と頻繁に彼女と“ぐ〜ぜん”出会うハメになっている。
彼女が音頭を取る自称義賊集団“リーリンナイツ”は街中に散らばり、
テリーの情報を艦長へと送るのが使命なのだ。
もっとも、そんな拙い尾行にテリーが気付くことも度々とあるわけだが、
“自称義賊”とはいえ盗みをやるよりは健全かと、今は半ば諦めている。

「あ、ドラマのヤツも全部録画してるんだからん! DVDはいつでるのん?」

「……アレは、あまり評判良くなくってな」

ここ10年、ギース・ハワードによるメディア介入が失われたことで、
テリーのKOFチャンピオンという肩書きは相応の影響力を持つようになっていた。
各地の格闘大会に出場すれば大袈裟な取材が来るし、
今までのように気軽に寄付などしようものなら“ボランティア活動”として取り上げられる始末。
その場で軽く話でもすればそれはもう立派な“講演活動”だ。
俳優業もテリーにとってはその流れでしかなく、
基本的には今までとなんら変わりのない根無し草生活を続けている。

「おうおう、サウスタウンヒーロー様はモッテモテで羨ましいこった。
 ハッ、息子が社長で親父が定職なしって、何なんだそりゃ。
 どういう家庭だ、ったく」

「……あ?」

ケビンの言葉に手を止め、間の抜けた声を出したのはテリーだった。
あまりにナチュラルなリアクションのテリーにつられたのか、
ジェニーも同じ表情で口をポカリと開けている。

「社長って何だ?」

「ああ、社長じゃなくて総帥って言うんだっけか? まぁどっちでも良いじゃねぇか」

「だから、何?」

「は?」

「は? じゃなくて」

本当に訳が解らないといった風なテリーをポカーンと見つめ、
ケビンは店のマスターに何事か声を掛けた。
数刻あり、マスターが数日前の新聞を持って来る。
投げ渡された新聞の一面には、見知った少年の別人のような姿があった。

『ロック・ハワード(17)氏 ハワード・コネクション総帥就任』

次にポカーンとしたのはテリーだった。
一週間前、カイン・R・ハインラインの宮殿で別れたロックが
ハワード・コネクションに居るというのもそうだが、
しかも立派なスーツを着て社長になっているのである。
それでなくとも僅か17才の少年がアメリカを牛耳る大企業のTOPに就任など例がない。

「……マジでか?」

「いやお前がマジでか?」

ニュース、新聞であれだけ騒がれた因縁浅からぬ少年の情報をここで初めて聞く
サウスタウンヒーローにケビンも呆れ顔だ。

「そっかぁ、サウスタウンに居たんだな、あいつ」

一頻り笑ってそう言ったテリーの瞳は慈愛に満ちていた。
ケビンもまた亡き友の息子を養子として迎えたばかりだ。
血の繋がらぬ息子の写真を見るテリーの気持ちも少なからず解るし、
本当に安心した風に見つめるその眼差しに尊敬もする。
だが、いまいち理解に繋がらないのがその“安心”だ。

「……心配じゃねぇのか? この政権交代、どう見てもキナ臭いぜ」

「そうか?」

言いながら、テリーは興味なさ気にホットドッグをほうばる。

「ロック・ハワードが社長就任ってことは、ビリー・カーンが権力の座を手放したってことだぜ?
 あの歩く凶器がだ。そう単純に考えられることじゃねぇだろ。
 それに、ロックがビリー・カーンの所へ居るってのも、不味いんじゃねぇのか?」

ビリー・カーンの過去を洗えば殺人罪がごろごろと出て来るだろう。それは間違いない。
そんな人間がハワード・コネクションという大企業の総帥を務めていたのだから、
そこには公権力との深刻な癒着が存在するのもまた公然の事実だ。
現在のハワード・コネクションのクリーンなイメージはメディア操作の賜物であって
真実ではない。それを、ケビン・ライアンは知っている。

「あいつは子供にゃ結構、紳士なんだ」

だが、そう言ったテリーの顔には屈託がなく、まるで親友を自慢しているかのようだった。
サウスタウンヒーローは親しみ易いようで、本当によく解らない男だとケビンは思う。
そうこうしている内、彼の養子マーキーに引っ張られ、テリーは笑顔で公園へ向け席を立った。
その一歩一歩にすら、大地を慈しんでいるかのような暖かさを感じてしまうのは何故だろう。

「あ、わたしもバスケやる〜ん♪ 海賊やめちゃって暇なのよねん。
 あんた達、久々リーリンナイツ、出撃よんっ!」

おー! と雄叫びを上げる揃いの水兵服を着た集団がどこからともなく現る。

「おいおい、コートはそんなに広くないぞ!」

そう言って笑うテリーはすでにゲームが始まったかのように楽しそうだった。
マーキーと顔を合わせて笑う姿は、本当にTVの中から出て来たヒーローのようで、
どこか不思議な光景にさえ思える。
ケビンは今年で35才となる二つ年下の男に見惚れていることに気付き、
苦笑交じりに舌打ちした。

「マーキーの野郎、何で俺よりテリーの奴に懐いてんだ?」

口走りながら走らせた線の跡、彼独断の“しょっぴきリスト”には、
彼にしては画期的な一文が追加されていた。

『ビリー・カーン 歩く凶器(子供には結構、紳士)』



薄暗い地下カジノで男達の悲鳴が上がる。
これがセカンドサウスの闇を取り仕切って来た一派の一つなのかと、
力あるものは軽蔑するだろう。そこに響いた悲鳴はそういったモノだった。

だが、その場所で獣が如き猛々しさを以て荒れ狂う魔人を見て、
誰が同じ感想を持てるだろうか。
グラントと呼ばれる男がその剛拳を振るう度、人が強風に舞う枯れ葉のように散った。
鍛え上げられた肉体は刃物をすら通さず、銃弾を放つにはその動きはあまりにも迅すぎた。
腕に憶えのある男でも、その技、体捌きが空手のモノだと気付くのには時間が掛かった。
それだけグラントの体技が獣染みていたからだ。
まさに魔人と、男は死ぬ間際に思った。

惨劇の背後、血に染まったシャンデリアの下には青年の姿があった。
青年は地獄絵図を眺めながらも無表情に腕を組んで動かない。
魔人の飼い主とはやはり、このような幻想的な男でなければ務まらないのか。
時折り浴びる光が照らし出す青年の姿は美しく、まるで神話の人物のようだった。

「もう良い、グラント。後は俺がやる……」

神の声に、魔人の狂行がピタリと止まる。
背を向け、ゆっくりと主の下へと歩むグラントの背後には、
怯え竦み、命乞いをするかつてドン・パパスと呼ばれた男の姿もあった。

「身体を労わってやれ」

すれ違い様の声にグラントが硬直する。

「カイン…… 知っていたのか」

「……済まぬとは言わぬ。だが必ず俺達の夢を実現しよう」

「それで良い……」

彼が自分の心臓に触れた手は、少々大きいだけの人間の物だった。

「姉上とお前と…… 約束を果たす日まで、二人でなくては意味が無い」

右手へ宿った蒼き炎が、カイン・R・ハインラインの赤い瞳を映し出す。
浮かんだ笑みは冷ややかで、まるで感情を感じさせないものだった。
再び舞った悲鳴にも、彼は表情を変えることはなかった。


「何故、見ているだけなのだ?」

闇を見据え、カインが初めて見せた感情は怒りに近いものだった。
睨み付けるその眼光は鋭く、それは同時に相手の力をも示していた。

「見定めようと思ってな。
 こうして眺める暗黒空手、暗黒真空拳も悪くないものだ」

中華服を纏った東洋人。
ソファーの陰から現れた男はその足の運びだけでカインの息を詰まらせる。

「セカンドサウスの独立による弱肉強食の世界の体現か。
 相変わらず面白い男だ。なかなか大層なことを考える」

「私の道を塞ぐならば、貴方にも力を行使するだけだ」

「お前がギース・ハワードに憧れているだけならばな」

カインの眼が厳しく細まる。

「……見定めると言ったな。答えを聞かせて貰おうか、師よ」

刹那、大地を揺るがす震脚と共に男の裏拳が飛んだ。
肉を打つ激突音が鼓膜を刺激する。
カインの眼光は男を見据えたまま微動だにしない。
男が打ち付けた拳の先にはグラントの丸太のような腕があった。
仮面の内に封じられた魔人の双眸が男へと滾る。
見上げる男の眼もまたそれを穿たんばかりに鋭い。

「死に体でありながらその執念。お前達の覚悟は見せて貰った」

男が腕を下げる。
カインと軽く視線を交わし、グラントも下がるが緊張状態はまるで変わらない。

「だが、強者の街を創ったとてお前に自由はない。
 お前は最強では有り得んからだ」

「忘れたのか? 貴方にも抑止力はあるだろう」

「――あのガキか。確かに奴の俺への憎悪は今まさに闇の淵で煮え返っていよう。
 だが所詮は未熟の域を出られぬ男。時間稼ぎにしかなるまいに」

「ならばそれで良い」

「時間があれば俺を超えられると言うか?
 成る程、お前が強くなるのは俺にとっても歓迎すべきことだ。期待しよう」

「貴方は根本的な勘違いをしている。
 人が生きるということは、創造でなくてはならないのだ。
 創造を求めるが故の飢餓。惰性を捨てた世界を統べるのは原始的な秩序で良い。
 それが一切の無駄を省いた、己で勝ち取る真の自由なのだ。
 貴方が私より強大ならば、貴方が思う物を創造すればそれで良い」

「――ほぅ…… お前が築いた理想の上に暗黒八極聖拳の城を建てるもまた一興か。
 餌としては悪くない。餓狼の街を喰った暁にこそ八極神拳を名乗れよう」

「ご自由に」

男が姿を消し、忘れていた血の臭いが鼻を打つ。
踵を返し、去ろうとするカインの道はグラントによって閉ざされていた。
それは彼の無言の疑問を意味している。

「構わんさ。あの男の息子はそう馬鹿にしたものではない。
 それに、真の地上最強はこれから塗り替えられる。もはや彼の及ぶ所ではないよ」

言いながらグラントの肩を叩き、カインは歩を進めた。

「――さぁ、選別を行おう」



初めはヴォルフガング・クラウザーの身体を奪うつもりだった。
彼がシュトロハイム家に伝わる拳技の書に触れた瞬間、
この魂こそが最強の男に相応しいと確信した。
それは二千年以上も時間の中を彷徨っての途方もない真実であり、また運命だと思った。

だが、その確信はあまりにも早く覆ることになった。
その男は呪いそのものだった。
未成熟な身体にすでに瘴気を纏い、男は現れた。
父を、弟を穿つ、禍々しい瞳に魅入られた。
そして、真実すらも遠く霞む気高き魂。
運命をすら超えた場所にその出会いはあったのだ。

男は同じく力を求めていた。
ただ憎しみのみを刻み、純粋に願うその意志は世界に君臨せる力を持っていた。
さそってやる。いざなってやる。
貴様が身に付けるのは不浄から出でた凡なる気功ではない。
人類の深遠から遠く続く、本物の気功しか帝王に相応しい物はない。

気功の書は彼のすぐ近くに存在した。
秘伝書の甘い蜜は男を運命の輪へ投げ込むには充分な餌だった。
秘伝書は強者を引き寄せ、そして更なる強者を生む。
ジェフ・ボガードとの邂逅は男の牙を腐らせはしたが、
それも通過儀礼に過ぎないことは解っていた。
より気高く、強い魂を得るための結果の見えた試練。

男が秘伝書を手にした瞬間、物語は開演した。
ついに地上最強の男の肉を得、魂を支配するときが来たと興奮した。
だが、男の魂は帝王の想像を超え、気高過ぎたのだ。

驚愕した。
人を超えし存在と自負し、事実、二千年もの空間を秘伝書と共に生きて来た己が、
この魂を掌握出来ない。
幾度も進入を試みて、そしてその度、弾き返された。
撒いた燐分ですら男の魂を変色させるに至らない。
それは男がついに秘伝書を三本揃えたとて何ら変わることはなかった。
あるいは儀式が行われてさえ、それは確実に可能と言えただろうか?

ますます欲しくなった。
この男しかいないという想いがはちきれんばかりに膨らんで行く。
男の存在が、彼に匹敵し得るテリー・ボガードという狼を生んでさえ、
まるで目移りすることはなかった。
彼がテリー・ボガードに敗れても、それは変わらない。
彼の魂は最期まで気高いまま、ついに肉を明け渡すことはなかった。
彼が選んだ死という選択は嘆く以外になかった。

だが、まだ代わりは存在する。
ギース・ハワードはまだ滅びてはいない。
秦王龍という存在が永年、生き続ける悪魔が如き存在足り得るのなら、
それを最期まで拒んだギース・ハワードもまた悪魔が如き存在に違いない。
肉体が死んだ程度で、滅び行くモノではない。

さぁ、儂を再び手に取るが良い、ギースよ。
物語は再び開演のときを待っている。

重い汗と共に目を覚ましたロックの中で、禍々しい霧が沸き立っていた。


【5】

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